3月9日(土) 能登半島地震被災地視察2日目(午前)~輪島市~

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能登半島地震被災地視察の2日目午前中は輪島市を訪れました。前日は新高岡のホテルに宿泊。甚大な被害を受けた能登半島内で宿泊先を探すのは現時点では困難です。新高岡を朝8時過ぎに出発し、車で輪島市に向かいました。輪島市に近づくごとに、倒壊した家々、上から押しつぶされた様に屋根が落ちた家々が次々と目の中に飛び込んできました。

倒壊家屋の撤去が課題

 

輪島市に到着すると、門前徹輪島市議会議員が私たちを待ち受けてくれていました。発災時の様子を尋ねると、「2回目の揺れは長く怖かった。まるで、中華鍋でチャーハンを炒めているような感じだった。本棚を固定していたネジが抜け、棚が飛んでいった」とのこと。地震の激しさが伝わってきます。門前市議は震災後から18日間車中泊をしていたが、ガソリンも復興支援車両優先で思うように手に入らず、体調も悪くなってきたので、電気も来ない自宅に帰り夜は自宅で寝泊まりするようにしたそうです。近所に自主避難所はありましたが宿泊出来るスペースはなく、地域の皆が、過酷な車中泊で過ごしていたと話してくれました。

その後、彼の車に乗り、被災した市内を案内してもらいました。道路は大分回復し、車移動にも大きな支障はありませんでしたが、それでもまだまだ注意が必要です。また土砂崩れがおきている場所もかなりありました。「雨が降る度に裏山が崩れるのではないか」と不安になり、自宅に帰れない人々も多いとのことです。

私たちはまず、輪島朝市が開催されていた観光名所「朝市通り」を訪れました。10年近く前、一度だけ訪れたことがある活気に満ちあふれた朝市通りは、火災によって200棟以上が焼け、およそ5万平方メートルが焼失しており、その光景に言葉を失いました。1月1日の夜、輪島市の空は一晩中赤かったと言います。どれほどの人々が震災の恐怖の中、燃えゆく町をなすすべもなく見つめるしかなかったでしょうか。その無念さに胸が痛みます。

その後、周辺を車で回りましたが、2ヵ月前のまま、時間が止まったように、倒壊した建物が片付けられることもないまま放置されていました。「2ヶ月経っても倒壊家屋の撤去すら出来ていない。震災が起きた時のまんまだ。撤去するためには、権利者を見つけ、同意を得ない限り解体できない。高齢者が多く、空き家になっていた家もあり、権利者が誰かわからず、権利者にたどり着くまでに時間がかかっている。この手続きを簡素化することは出来ないか。ぜひ、国に言ってほしい」と門前市議。

環境省が今年1月に出した「公費解体・撤去マニュアル第1版」に、「解体・撤去」に関する定義や流れが紹介されています。冒頭に、「災害発生時に被災した家屋等の解体・撤去は、原則として、所有者の責任によって行うこととなる」と前置きされています。門前市議が問題としている「所有者の確認」に関しては、「損壊家屋等の解体は、私有財産の処分であることから、公費解体を行う場合でも所有者自らの申請又は所有者の同意を得てから進めることになる」と書いてあります。高齢化が進み、空き家が増えている中で、所有者の特定が容易ではないという現実が、今回のことで突きつけられました。所有者不明の損壊家屋の解体については、このように書かれています(p.8)。

(2)所有者不明の損壊家屋等の解体

損壊家屋等の解体は、私有財産の処分であることから、公費解体を行う場合でも所有者自らの申請又は所有者の同意を得てから進めることになる。他方で、所有者が特定できない損壊家屋等で、解体・撤去の必要があるものについては、「所有者不明建物管理制度」(民法第 264 条の8第1項)を活用し、所有者不明の損壊家屋等の解体を実施することができる。

「所有者不明建物管理制度」とは、調査を尽くしても建物の所有者やその所在を知ることができない場合に、利害関係人(市町村等も含まれる)が地方裁判所に申し立てることにより地方裁判所が、その建物の管理等を行う管理人を選任する制度である。選任された管理人は、地方裁判所の許可を得た上で、市町村等への公費解体の申請など、当該建物の処分を行うことができる。

こういったルールによって解体や撤去が思うように進まず、震災直後のまま倒壊家屋が放置されたままの状態になっています。「倒壊家屋を放置したままでは、いくら子どもたちに帰っておいでと言っても、危険過ぎて帰って来いとは言えない。このままでは、町に人が帰ってこなくなる。避難のため市外に出た人も多く片付けも進まない。火事も心配だ。このままでは消防車も通れない」と不安がつきません。制度の狭間で復興への道筋も立たない状況。「とにかくこの状況を国会議員に見てほしい」と門前市議は語りました。

港は隆起 住まいと生業の再建はいつか?

輪島港はこの震災で海岸が隆起しました。震災後も、ずっと潮が引いた状態が続いていると思ったら、海岸が隆起していたのです。浚渫(しゅんせつ/河川や港湾などで水底の土砂等を掘りあげる工事)しないと使えない状態に。「地元の漁師は仕事がなく、瓦礫の仕分けのアルバイトなど短期の仕事を斡旋してもらっている人もいる。しかし、輪島は石川県最大の漁港で、ここで魚を捕れなかったら、観光地の金沢や和倉温泉では何を出すのか?」と門前市議。港の復興、漁業の再開が、輪島市の復興において重要な意味を持つことがわかりました。

港付近の輪島マリンタウンでは、コンテナ式の仮設住宅の建設が進んでいました。一月末までに輪島市で仮設住宅を申し込んだ人は4140人ですが、供給は全く足りていません。条件の良い土地は公営住宅建設のために確保しておかなければならず、住民の住居をどう確保するかも大きな課題です。

門前市議は「昭和の建物が軒並み倒壊した。2007年の地震の前までは、みんな地震は来ないと言っており、筋交い(すじかい/柱と柱の間に斜めに入れて建築物や足場の構造を補強する部材)も入れていないくらいだった。2007年の地震を受けても、家を建て直せる人は少なかった。しかし、2012年の市防災マニュアルには、半島沿岸の断層が書かれており、Mw(モーメントマグニチュード)7.66の地震が発生し、5分以内に津波が来ると書かれていた」と話してくれました。つまり、今回の地震は想定外の地震ではなく、想定されていた地震だったということ。防災・減災に向けた行政の取り組みが、改めて見直されなければなりません(※写真は門前市議のツイートより)。

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今回の能登半島地震において、高齢化と過疎化という問題が被害状況に大きく関係し、今後の復興においても重要な課題となることが見えてきました。これは能登半島だけでなく、私のふるさとも含め、全国各地の自治体が抱えている問題ではないでしょうか。

 

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