2023年10月5日(木)ノーモア・ミナマタ第2次近畿訴訟について要請

コラム

ノーモア・ミナマタ被害者・弁護団全国連絡会議のみなさんより、参議院議員会館で要請を受け取りました。

ノーモア・ミナマタ第2次近畿訴訟の弁護士と原告の女性より
社民党への要請を受けました

去る9月27日大阪地裁にて、メチル水銀を含む水が流された不知火海(しらぬいかい)沿岸で暮らしていたにもかかわらず、水俣病被害者救済法(特措法)に基づく救済を受けられなかったとして、大阪府などに住む128人が国や熊本県、チッソ株式会社に損害賠償を求めた裁判(通称:ノーモア・ミナマタ第2次近畿訴訟)の判決が出されました。その内容は、原告全員に1人あたり275万円、総額で3億5200万円の賠償を命じるものでした。同じ内容の裁判は、大阪以外にも熊本・新潟・東京地裁でも起こされており、これが初の地裁判決となりました。しかし、チッソはこの判決を不服とし、10月4日付で大阪高裁に控訴しました。

 

10月5日、ノーモア・ミナマタ第2次近畿訴訟の弁護士と原告の女性が社民党に要請に来られました。「いまだに救済されない水俣病被害者たちの存在と国による現行の『認定制度の破たん』を司法が明らかにした」と評価しながらも、「加害者である国や熊本県、チッソと和解のテーブルを設け、残されたすべての水俣病被害者を救済する『救済の枠組み』を作り上げたい」そのために尽力してほしいとの要請でした。

杖をつきながら要請に来られたノーモア・ミナマタ第2次国賠訴訟原告団 世話人の前田芳枝さんが話してくれたご自身の体験に胸が詰まりました。

前田芳枝さんのお話

鹿児島県阿久根市出身。10歳くらいの時から、手のしびれ、ふるえを感じていたとのこと。15歳の時、ふるさとを離れ集団就職で大阪に。18歳頃から症状が悪化。歩いてもフラフラし、まっすぐに歩けない。仕事が出来ず、毎日のように職場の医務室に通っていた。検査をしても内臓には異常が認められず、「自律神経失調症」と名付けられ、ビタミン剤と安眠剤を出され「とにかく眠りなさい」と言われるだけで、体調不良の原因がわからない。脳の病気かも知れないと思い、当時、社会からの偏見も強い時代に、精神科でも検査をしたが病名がつけられることはなく、長い間、治療してもらえない状況が続いた。

30代の時が「一番しんどかった」と語る前田さん。黒い膜が上下左右から迫ってくる感じで、視野が極端に狭くなった。手の震えも激しく、家族のために料理を作ることができない。単身赴任をしていた夫が週末に帰宅。数日分の料理を作り置きしてくれていたが、木曜日頃にはなくなる。息子さんや彼のクラスメイトが、体調不良で料理が出来ない前田さんを気遣って、学校の給食を残し、それを持ち帰って食べていたと話す前田さんの声は嗚咽に変わっていた。

病名が明らかになったのは8年前。魚嫌いだった母親の葬式の日、前田さんと同じような症状に悩まされていた兄が、「今日は水俣病の検査の日だったが行けなくなった」と話した。水俣に住んでいなかった私たちにも水俣病の可能性があるのか?と気づき、日を改め兄と共に検査を受けることにした。結果は「水俣病」。「やっと、やっと病名が付いた!」、一瞬だが嬉しかったと前田さんは語る。病名不明のまま何十年も苦しんできた体調不良の原因が明らかになったのだ。

前田さんは振り返る。「お葬式の時とか、記帳するでしょう。あれがつらかった。ふるえて字が書けないから。『手をケガしているんです』とずっとウソをついてきた。ふるえることが恥ずかしくて、手を身体にくっつけて、人に見せないようにしてきた。顔も痙攣しているし、身体全体がふるえているんです。声もふるえています。力を振り絞って話しているから、しゃべり終わった後、とても疲れるんです。見た目にはわからないかもしれないけれど、障害者なんです」と、体調不良に悩まされ続けた過酷な日々を話してくれた。

魚を食べただけ。なんで、海に線引きできるんですか?なんで、地域に線引きできるんですか?チッソは会ってもくれず、控訴ですか?ゴソッと力が抜けて、谷底に落とされた気分です。私たちが訴えてきた、この身体の状況をどう思ってんの?人として考えてほしい」前田さんのひとつひとつの言葉が突き刺さった。

前田さんたち原告と弁護団は、今回の判決を大きな前進としながらも、1人あたり275万円の一時金だけでなく、特措法の対象者として救済されることを求めています。原告のみなさんは、水俣病の症状とはこれからも付き合っていかなければいけません。被害者手帳を交付、医療費無償等の具体的な救済を求めています。「裁判所だけでは解決できない」、だからこそ解決に向け国会で動いてほしいとの要請をしっかりと受け止めました。

水俣病が公式に発見されたのは1956年。それから67年たった今も、問題が解決されていません。私たちは水俣病の反省もなく、また、新たな公害を作り出そうとしていないか?福島第一原発の処理汚染水海洋放出のことを思いながら、前田さんのお話を聞きました。もしも何かあったとき、国や自治体や、原因企業はきちんと責任を取るだろうか?もちろん責任を取らなければなりません。しかし往々にして、被害者は長期間に及ぶ過酷な闘いを強いられることになります。痛ましい歴史に学び、過ちを繰り返さないこと、水俣の闘いは、今私たちに問いかけています。

大椿ゆうこ

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