今日は3月31日、年度末です。
この日は全国で多くの人が雇い止め解雇になる日です。
大椿ゆうこも15年前の3月31日、有期雇用を理由に雇い止め解雇になりました。
11年前に「ふぇみん」に掲載された、大椿ゆうこのインタビューを紹介します。
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今年の4月1日を大椿裕子さんは複雑な思いで迎えた。4年間勤めた関西学院大学を雇い止め解雇となって4年。大椿さんの後任として採用された、かつての同僚も解雇されたのだろうか。そしてまた4年後の雇い止めを前提とした採用がなされたのだろうか。「バカにするな」。力をこめてプログに記した。
障害学生支援コーディネーターという仕事は、大学で社会福祉を学び、車いすで生活する親友と暮らしていた大椿さんにとってぜひともやりたい仕事だった。最初から4年と雇用が区切られていることに違和感はあったが、募集そのものが全国的にも少なかったうえにほとんどが有期雇用での採用だった。
「この仕事がしたいなら有期雇用という条件をのむしか選択肢がないというスタートでした」
充実した日々が始まった。しかし頭の間では常に「4年」という数字が点滅していた。一方、働き始めて間もない頃、違う部署では有期雇用から喉託へと雇用の形を切り替えたうえで継続して働いている人の存在も知る。待遇は悪くなるが仕事続けられるならと大椿さんは望みをもった。
関西学院大学における障害学生支援は、大椿さんたちコーディネーター2人とアルバイト2人とでゼロから少しずつ形にしていった。全員女性だった。
大椿さんたちがいなければ困ると、部長と課長が人事課に継続雇用をかけあったこともある。しかし4年目に入る直前、「もう自分たちにやれることはない」と大椿さんに告げてきた。「まだ1年あるのに。じゃあ自分でやります、と言ったんです」
それまでも上司に任せきりだったわけではない。関西学院大学の教職員組合は非正規労働者を受け入れていないが、信頼できると思った数人の教職員に相談した。すると全員が「大学の方針は変わらないだろう。ここでイヤな思いをするより他を探したほうがいい」と口をそろえた。
あきらめかけた時、教育現場の労働者は誰でも1人から入れる大阪教育合同労働組合を紹介してくれる学外の人がいた。2009年2月、合同労組に加入し、大学側との団体交渉が始まった。
「大学に異議を申し立てたいと思う自分がおかしいのかと思っていました。でも”あなたは問違っていない”と初めて言ってくれたのが、この組合でした」
しかし間もなく大学側から交渉を打ち切られ、10年3月に雇い止め解雇となる。入れ替わりに採用されたのは一緒に働いてきたアルバイトの女性だった。
同じ職場で働く女性を分断するようなやり方に打ちのめされた。大阪府労働委員会に不当労働行為救済を申し立てるも棄却、中央労働委員会に再審査の申し立てを行う。
そして12年11月、「4年間の有期雇用は徒前からの方針であり、不当労働行為には当たらない」として大椿さんの申し立ては再び棄却された。
もちろん納得できない。しかしつらかったのは結果だけではない。闘う過程で同じ非正規労働者や身近な人たちから繰り返し言われた言葉に傷つき、激しく消耗した。「最初から4年と言われて就職したのに今さら文句を言うなんて」「あなたがしんどい思いをするだけ」「絶対に勝てない」など、「どうにか持ちこたえている気持ちをペシャッとつぶされるようで、本当につらかった」と振り返る。
「闘うと決めた人間を目のあたりにした時、あきらめたり我慢したりした人は動揺するんですね。それを”心配”と称してあきらめさせようとする。その人の内側の問題だと気付いてからは楽になりました」
組合に入ったことで得たものは大きかった。「組合が団体交渉を申し入れれば拒否できない。日頃会うこともない理事たちに直接話をすることかできます。労働者の団結権、団体交渉権、団体行動権を組合を通じて実体験していった時、憲法28条に労働三権が掲げられていることの尊さを体で学びました。結果的に負けたけど、その清々しい体験は私に力をくれました。非正規労働者の多くは女性で、不安定な環境に怯えながら黙っている。労働三権という使えるものがあることを女性たちに知ってほしい」。
たて続けに労働法制の改悪が打ち出される中、今は合同労組の専従職員として労働者を支える。
今年4月1日のブログはこう締めくくった。「解雇されて4年、改めて宣戦布告じゃっ!」
(「ふぇみん」3053号(2014年4月25日発行) 1面インタビューより)