2月9日(日)、京王多摩センター駅近くの「パルテノン多摩」にて、「いぢち恭子と社民党多摩支部新年のつどい」が開かれ、大椿ゆうことライターの和田靜香さんが3回目の対談を行いました。日曜昼間、しかも今冬一の寒波に見舞われた時だったにもかかわらず、地元のいぢち恭子・多摩市会議員の支援者の方をはじめ、多くの方にご来場いただきました。ご来場いただいた皆さんに心から感謝申し上げます。
当日の対談、及び会場の皆さんとのやりとりの様子をご紹介します。
非正規雇用は労働者から声を奪う
大椿ゆうこ/ 1973年生まれの私が大学を卒業したのは1996年、社会は就職氷河期になっていた。時を同じくして派遣労働が、ほとんどの業種に適用されるようになり、以降賃金の上がらない30年間となった。私の世代は特に出生数の多い団塊ジュニア世代だが、その世代がもう50代になっている。全世代を見ても収入が低い氷河期世代が、年を重ねて60代・70代になったらどうなるのか、と考える時期が来ている。
私は大学の時、それほど就職活動をしたわけではない。選考が社会福祉なので、就職活動をするタイミングが企業向けの新卒一括採用とは違った上に、女性を支援する社会福祉をしたかったのに、そのような働き口はほとんどなかったからだ。就職先が決まらないまま非正規雇用を渡り歩くようになり、凄まじい数のアルバイトを、ダブルワーク・トリプルワークと掛け持ちした。保育所、服の販売、野菜の梱包など、様々な仕事をこなした。「自分のやりたい仕事にいつか巡り合える。今の仕事はそれまでのつなぎ」と思っていたが、そのうちどんどん正規の仕事から遠のき、「これで良いのか?」と疑問を持つようになった。
大学の同級生がだんだんキャリアを積んでいく中、「自分の仕事がこれだ」と言えない喪失感と、地に足がつかない根無し草だという感じを抱くようになった。
和田靜香さん/ 非正規だとキャリアが積めない。会社員のように昇進・昇給があるわけでもなく、すごく焦ってしまう。
大椿/ いつ首が切られるか判らない中、最低賃金の時給でいくつかのバイトを掛け持ちしながら食いつないでいると、「これで良いのか?」という葛藤が出てくる。低賃金で暮らしていけないという切実さに加え、自分の仕事がこれだと確信を持てない恐ろしさがあった。そんな中、政治の道に進む一番のきっかけは、2006年から務めた私立大学で、障害を持った学生を支援する仕事を雇止めされたことだ。耳が不自由な学生のためにノートテイクをしたり、車いすを使う学生が通学できるよう環境を整えたりする仕事をしていたが、最初から更新は4年までという契約だった。毎年障害を持った学生は入学してくるため仕事は恒常的なものだし、同じ職員が続けた方が支援のスキルも上がり、学生との関係も深めることが出来る。なのに4年で雇止めするのはおかしいと思い、継続雇用を求めて闘った。3年9カ月闘って結局継続雇用を勝ち取ることは出来なかったが、この経験がなかったら政治の道に進もうとすら思わなかった。
和田/ とはいえ、本来大椿さんはそう言う首切りの経験はしなくてよかったはず。自分はシングル女性を取材し、雑誌の連載を書いているが、取材相手の中には大椿さんと同じ世代の人が多い。みんな大卒で結構な高学歴だが、卒業後に全然正規の職に就けていない。みんな最初の仕事がスーパーのレジ打ちとかで、そこからずっと非正規のままだ。そんな人の中には、会計年度任用職員(1年単位で雇われる地方自治体の職員)になっている人もおり、大椿さんが闘った不条理が今公務職場の現場で繰り広げられている。とはいえ、そういう人たちの中には、民間企業の正社員になっても低賃金な上にブラック企業で、一年もたたず辞めてしまったというような人もいる。会計年度任用職員は時給は安いが、ブラック企業よりはマシと言って、非正規で働いている。
大椿/ 正規になっても非正規になっても労働環境は劣悪、ということが広がってしまった。
和田/ 民間企業に就職できたと喜んでいた人も、3か月くらいしたら辞めてしまう。手取りは上がらないし、パワハラ・モラハラ・セクハラがはびこるブラック職場。「どうしてそんなになったのか?」と思ってしまう状態になっている。
大椿/ 非正規の一番の問題は、首を切られることを前提に、いつ首を切られるんだろうと怯えて働かなくてはいけないことだ。それが物凄く精神的な負担になる。「契約更新して貰えないんだったら、上司のハラスメントに遭っても黙っておこう」と、労働者が声を上げられなくなる。結果、職場の劣悪なことを、どんどん地下に潜らせてしまう。働く人の声を奪うことが、非正規の最大の問題だ。