11月6日(水)長生炭鉱のご遺骨の収容について省庁と面会・記者会見

その他

長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会の井上洋子共同代表と大椿ゆうこが省庁に現状の説明をして、その後記者会見をいたしました。

●当日のスケジュール
14:00〜15:00 省庁との話し合い(厚労省・外務省)
15:30〜   記者会見

今回の記者会見は事前に何件も問い合わせがありました。
15時過ぎから絶え間なく会場に人が増え、60部用意した資料はすべてなくなり、席も満席に。この問題に関する関心の高さを改めて感じました。遺骨問題に取り組む市民の方から、日本の報道関係者・在日韓国メディア、フリーライターの方にも多数ご参加いただきました。

記者会見の様子

省庁との話し合いが長引いたため、15:40頃から開始。

冒頭のコメント

共同代表 井上洋子さん


「沖縄でも長生炭鉱でも、遺骨の問題と向き合っているのは年配者が多いが、山口に来てくれる報道者は若い方が多い。その点に希望をいただいている」

ご遺族の鄭歩美(チョン・ボミ)さん


「死者の弔いだけではなく、刻む会のみなさまは、我々(犠牲者)一族の自尊感情の回復をしてくださった。また、これまでの刻む会のみなさまの足跡を思うと『始まったばかり』とはとても言えないが、本当にありがとうございます」

潜水調査結果の説明

井上共同代表から第一回目の潜水調査について、画像を用いてについてのお話がありました。

9月に抗口があいたとき、井上さんたち刻む会の皆さんの映像を私もXで見ていました

抗口の奥に向かって「おお~い、抗口があいたぞう!」と呼びかける映像

やっと見つけた、あいた!そんな喜びを井上さんが韓国の遺族の方に伝えたところ、「その中(抗口から溢れ出てきた海水)にも遺骨があったかもしれないのに、なぜ網などかけたおいてくれなかったのか」と言われ、大変つらい思いをされたそうです。これほど遺族の方に寄り添って活動をされてこられていても、当事者の立場で感じられることは想像しきれないのだということを聞きながら、自らの戒めとして聞きました。
「抗口が空いたからって喜んでいる場合ではない、次は遺骨の発掘だ」とご遺族の方が記者会見でおっしゃられていたが、その通りで、これから調査を進めていくことで必ず遺骨を見つけたい。と淡々と力強く話されました。

本日の話し合いについて

参議院議員 大椿ゆうこ


福岡大臣に長生炭鉱の質問をしていただいたメディアの報道を見ました。
9/11に社民党が厚労省へ申し入れをしたことは報告されたのか、と人道調査室を通して秘書官に問い合わせていただいたが、大臣も沢山のテーマを扱っているため、どうもきちんと報告がなされなかったようです。武見大臣が退任前に「大椿に話を聞くように」と話していたことなどは伝わっていなかったようですが、今日の話はきちんと伝えてほしいと念押しをしました。市民が抗口を掘り当て、坑口を開けたことや、水中潜水調査が開始したことで、政府は明らかに状況が変わったという認識でした。

参議院議員 福島みずほ


こういう形で進展があり、良かったと思っている。
2014年に追悼碑ができたとき、呼ばれて一度現地に行っている。この間、行政交渉を3回ほどしていたが、外務省は自分たちの担当ではないと言い、厚労省の人道調査室は『戦没者じゃないから担当じゃない』。経産省は『元の会社が倒産しているから自分たちの管轄じゃない』といい、内閣府も自分たちも管轄ではないと言い、どうにも進めるのが難しい状況だったが、12月の政府交渉後に「もう自分たちでお金を集めてやりましょう!」と市民のみなさんが言ってくれた。

今後は「政府自ら遺骨収集をやるべきだ」ということを社民党は国会のなかでも追及していく。遺骨収集の法律(戦没者の遺骨収集の推進に関する法律)では、遺骨収集は政府の責任だと言っていますので、政治の責任として追及していく。

質疑応答

およそ1時間半ほど続いた質疑応答の中での質問をいくつかご紹介します。

■質問1
・省庁(日本政府)は最初は遺骨があるかどうか分からないと言っていた。
・今は遺骨はありそうだけど戦没者じゃない(からやらない)と言っている
以上についてはどうか

井上:戦没者というのはそもそも、日本政府が勝手に決めたものだと思っているので、やはり戦争で亡くなったすべての方を戦没者とするのが筋ではないか?と考えている。
長生炭鉱に関しては人道調査室が担当することになっているので、(旧朝鮮半島出身労働者等の遺骨に関すること)調査の対象外とは言っていないが、「次期が来たら見直す」ということはずっと言っている。これは日韓の約束なので、内閣官房が担当するべきではないのか?と思っている。日本政府が「遺骨は返すべきだ」と決めてほしい。

大椿:戦没者ではなくても、戦時中に必要なエネルギーを供給するべく炭鉱で作業をしていた人も、戦争の被害者であり、戦没者なのではないか。ここに認識を変えていくところに立っているのではないか?と伝えたが、現在は人道調査室はその立場にはたっていない。厚労省の援護局が本来、戦没者遺骨を扱う部署だが、援護局も自分たちがやる立場ではないと思っている。解釈を変えていくべきではないかと考えている

■質問2
●水中調査で伊佐治さん200m入られたが、今回の結果はどう見ているか?
井上:入り口に工事のための土砂があった。2m、ユンボの手が届くところまで取ってもらった。入れないほどの泥は中にはない。奥までいけることは確認した。本坑道は崩れるような現状ではなかったと思う。

■質問3
●厚労省・外務省ともにゼロ回答(具体的な回答がないこと)だが、1.2月の調査に向けて手応えはどうか
井上:この三日でいっぺんの遺骨でもいいから持って帰ってきたい、と言う決意。
毎年開催していた2月の追悼集会を、調査予定日の1月末に前倒すことにしている。刻む会としてはそれぐらいの決意を持っている。

■質問4
●今日の話し合いでなにか進展したか?なにか期待を持たせるものはあったのか。
井上:省庁は変わらず「開けたらという仮定の話には答えられない」と言われていたが、真摯な対応はしてくれている感触があった。次回、調査と追悼式を終えたらまた交渉をする予定。

■ご遺族の方のコメント
本当にこんな日が・・・事故当日の日から、事故当日がずっと続いているような、重く暗い一族の中で育ってきました。(長生炭鉱の事故のことは)口を閉ざすんですけど、たまにぽつぽつと長生炭鉱のことを話してくれるのを聞くという子ども時代でした。遺族も鬼籍に入る人もいて、このまま事故のことは葬り去られていくんだろうとずっと諦めていたんですけれども、まさか・・・心ある市民の方が当事者以上に人生をかけていただき、本来なら身内がやらなければならないのに、ご自分のお仕事や生活の事以上に、みなさまに感心を持っていただけて、先ほどは超党派で(国会議員含め政府に働きかけを)していただけると。本当に犠牲者が日の目を見る日がやって参りました。もちろん、目標は遺骨の返還、故郷に眠らせてあげることですけれども、この日を迎えられたことだけで、犠牲者やこの日をまっていた人たちに報告してあげたらどんなに喜ぶだろうかと思っています。

会見を取材してくださったジャーナリストの方が「長生炭鉱のこの一年の勢いは、2010年代を思い出します」と声をかけてくださいました。2010年は民主党政権で、菅直人総理大臣時代に硫黄島の遺骨収集や祐天寺などに安置してあった朝鮮半島出身者の遺骨返還が進んだ年です。社民党としても、超党派でもご遺骨の問題に取り組み、この問題を少しでも前に進ませることができるよう、大椿ゆうこと事務所も一丸となって取り組んで参ります。

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