11月6日、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(以下、「刻む会」)の井上洋子さんが上京され、長生炭鉱における潜水調査の実施と遺骨収容の可能性等について、厚労省・外務省に対する説明、及び記者会見を行いました。
長生炭鉱は山口県宇部市の床波海岸にある海底炭鉱です。1942年2月3日早朝に水没事故(「水非常」と言う)が発生し、136人の韓半島出身労働者を含む183人の労働者が犠牲にされましたが、事故翌日には坑口は閉鎖され、以後開かれていないため、犠牲者のご遺骨は今も海底の坑道に残されたままになっています。「刻む会」の皆さんは、日本政府が現地調査と遺骨収容・返還を実施するよう求めてこられましたが、2005年の日韓協議で決められた「現実主義(寺社等に安置されている「見える遺骨」しか返還の対象としない)」に拘る日本政府は頑として対応しようとしてきませんでした(この件については大椿ゆうこも参議院厚生労働委員会で質問しました)。
市民の力で坑口を開けた
昨年12月8日、「刻む会」と厚労省・外務省との意見交換会が行われましたが、その際も政府は従前の見解を繰り返すのみでした。ご遺族が高齢化される中、日本政府が全く動かないので、「刻む会」の皆さんはクラウドファンディング等により1000万円以上の資金を調達し、自ら炭鉱の坑口を開ける工事に着手しました。9月25日に坑口が開き、9月30日には坑口の全貌が露わになりました。
10月26日には「坑口開けたぞ!82年の闇に光を入れる集会」が行われ、ご遺族(韓国人14人、在日2人、日本人4人)も参列し、追悼の祭事を行いました。衆議院選挙の最後の土曜日でしたが、大椿ゆうこも駆け付けました。また、10月29日・30日には水中探検家の伊左治佳孝さんによる潜水調査が行われました。
(※写真は「刻む会」提供です)
政府が重い腰を上げない中、ここまで市民の皆さんが活動されていることを受け、社民党は9月11日、厚労大臣に対し、①10月26日に予定されている坑口を開ける工事・調査に厚生労働大臣・厚労省が立会うこと、②長生炭鉱における遺骨収集・返還事業を、厚労省・人道調査室の事業として再確認し、今後の調査、遺骨発掘・収集、鑑定・返還等に協力することを求めました。当時の武見敬三大臣は、人道調査室に対し、大椿ゆうこと会って状況の変化を確認するよう指示されたとのことですが、大臣の外遊や新内閣の発足等で実現が遅れ、ようやく11月6日に面会の場を作ることが出来ました。
遺骨発見の可能性
面会には朝鮮半島出身者の遺骨の調査等を担当している厚労省職業安定局人道調査室から鈴木良尚室長を含むお2人、及び外務省北東アジア第1課のお2人が来られ、非公開で行われました。
最初に井上さんから、12月8日の政府との意見交換時に「ご遺骨の位置が判らないので動けない」と言われたことから、「政府に動いていただくには、ご遺骨の位置をお示しするしかない」と思い、坑口を開けるに至ったのだと経緯の説明がありました。10月26日の集会では遺族会長が、坑口が空いたことを喜ぶ「刻む会」の皆さんをたしなめるように、「坑口が開いたからと言って喜んでいる場合ではない。遺骨は確実にある。発掘を至急にしなければならない」とのお言葉があったとのことです。
昨年は水中ドローンで調査することを考えていましたが、専門的な技術をお持ちの伊左治さんが坑道の潜水調査を申し出て下さったため、遺骨発見の可能性が一気に高まりました。10月29・30日の潜水調査では坑口から180~200mの地点まで入りましたが、さらにその先100ほどの地点にある坑道最深部(発災時、逃げようとする労働者が集まったと思われる場所)にまで入ることが出来れば、ご遺骨を発見できる可能性があります。人道調査室は、これまで「発掘しなければ具体的な所在が確認できない」ことを理由に調査に後ろ向きの姿勢を取ってきましたが、その前提が変わろうとしています。次回の潜水調査は1月31日から2月2日まで行われる予定です。
ただ、遺骨発見までの道のりは、決して平坦ではありません。坑道の壁面は松の板で支えられていますが、坑口を開けたことで空気に触れ、腐食が進むことが危惧されます。長期的な潜水調査を可能にするため、坑道入口にボックスカルバートという建材を入れて補強する工事を行うことが必要です。また、水が満ちている坑道内の視界は10cm~20cmしかなく、ご遺骨を探すためには視界を向上させる何らかの措置が必要です。さらに、長時間の潜水調査を実施するためにはリブリーザー等の高額な機材を準備しなければなりません。「作る会」は、追加のクラウドファンディングも検討されているとのことです。
人道調査室は毎年1000万円前後の予算を付けられていますが、その殆どが執行されておりません。井上さんは、その予算を長生炭鉱に充てて欲しいと訴えられました。