6/18(火) 総理は訪沖前に遺骨土砂使用断念を表明せよ 慰霊の日直前6・18政府交渉

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過剰警備は異例の妨げ!

続いて、昨年岸田首相が来沖したため、追悼式会場の沖縄平和祈念公園に過剰警備が敷かれ、遺族が安心して慰霊できなくなった問題について、警察庁と議論しました。昨年は沖縄県外からも警察が動員され、式典会場周辺のみならず、平和の礎にまで警官が入り込み、遺族が職務質問を受けるということすら起こりました。具志堅さんらは「昨年、岸田総理が来ることによって遺族の参拝に明らかに支障が出た。特に過剰な警備で交通規制が行われ家族の車に乗ってくる高齢者が会場へ大きく遠回りとなったりした。祈念公園内のものものしい過剰警備は平和の礎に家族連れで来て慰霊を行う県民に異様な緊張感を与えた」とし、「このようなことは県民と全国の遺族が主役のはずの慰霊の日の平和祈念公園の取り組みより岸田総理警護が優先されてしまうという本末転倒な事態を起こしている。今年、政府から誰が来るにしてもこのような過剰警備の中止を求める」と要請しました。

沖縄慰霊の日である6月23日、平和の礎には早朝から沖縄戦遺族が多数訪れ、肉親の名前が刻まれた石碑の前に食べ物を備え、手を合わせます。遺骨すら帰ってこないご遺族も多い中、平和の礎を自分たちの墓のように大切にしていらっしゃる方もいます。具志堅さんは「平和の礎に警官が入り込むと心が傷つけられる」と言い、ご遺族の一人は「戦中、従軍を拒否して警察に痛めつけられた人もいる。肉親が眠るところには、警察は来てほしくない」と言いましたが、警察庁からは「警備は式典主催者である沖縄県においてなされたもの」というにべもない返答が来るのみでした。

岸田首相は追悼式で「戦没者の御霊に哀悼の意を表す」というようなことを言いますが、具志堅さんは「哀悼の意と、ご遺骨を海に捨てることとが、首相の胸の中でどう折り合いがついているか判らない」と批判しました。そんな首相のために警備が強化され、ご遺族の慰霊が妨げるのは、まさに本末転倒です。

防衛省の歴史認識の欠如

最後に、慰霊の日に自衛隊が制服姿で、第32軍の牛島満司令官らを祀る慰霊碑「黎明の塔」を参拝する問題について、再び防衛省と交渉しました。具志堅さんらは次のように要請しました。

自衛隊は慰霊の日当日の深夜に、日本軍最高司令官であった牛島中将を祭る(原文ママ)「黎明の塔」に集団参拝を行っているがこれは問題である。それは沖縄戦当時の日本軍による沖縄住民に対する加害事実がありながら、反省が見られないからだ。加害事実とは戦時中の壕追い出しや食料略奪、幼児虐殺やスパイ容疑虐殺など、戦時においても守られるべき対象である住民への加害行為だけでなく、根本的なものとして沖縄を戦場にしたことだ。沖縄戦は偶然起こったわけではない。本土防衛の軍事的防波堤として日本軍が要塞化したのだ。それは今も自衛隊によって繰り返されようとしている。私たちは二度と戦場になることを受け入れるわけにはいかない。被害住民の遺骨も安置されている霊域に軍隊として集団で旧司令官顕彰のため参拝行動を行なうのは住民を犠牲にした沖縄戦の無反省を公表するものである。中止を求める。

対する防衛省は次のように回答しました。

  1. 陸上自衛隊第15旅団の有志が、過去に6月23日の「沖縄の慰霊の日」に、糸満市摩文仁の平和祈念公園内にある「黎明之塔」に対して、各々の自由意志に基づく私的な慰霊行為として参拝していたことは承知しております。
  2. 隊員が私的に慰霊を行うことについて、服務規律や法令に違反するものではない限り、防衛省として慰霊行為を行わないよう指示することは適切でないと考えています。
  3. なお、過去に沖縄県の歴史的な経緯といった地域事情を踏まえ、陸上幕僚監部から第15旅団に対し、「地域の住民感情に十分配慮し、今後はより熟慮の上で対応するように」との注意喚起を行っています。

防衛省はあくまで「私的行為」と強弁していますが、制服で参拝しているうえ、2021年の慰霊の日に第15旅団の幹部3人が参拝した際、防衛省陸上幕僚監部が陸幕長らへの報告文書を作成していたことが明らかになり、「私的」との主張には疑義が呈されています。「報道機関などからの問い合わせに適切に対応するため、防衛省として統一した見解の情報共有を目的としたもの」との防衛省の言明には無理があります。

何より問題なのは、「軍官民共生共死」を掲げ、自殺に先立って「最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」と言い残し、沖縄戦における沖縄住民の犠牲を拡大させた牛島司令官を、現在の自衛隊が組織立って慰霊しているということです。沖縄戦で日本軍がどれほど住民に酷いことをしたかと追及する中で、防衛省の担当者には、「日本軍はウチナーグチを使う住民をスパイとして処刑した」といった基礎知識すらないことが露呈しました。集団参拝にせよ、牛島司令官の辞世の句のホームページ掲載にせよ、沖縄戦への歴史認識の欠如の結果であるようです。

交渉の最後、具志堅さんは「戦争をすると真っ先に犠牲になるのは自衛官で、戦争を決めた政治家ではない。戦争の引き金は、自衛隊がミサイルを撃つことだ。自衛隊はミサイルをもって沖縄から出て行って欲しい。それが自衛官の命も守ることになる。戦争をしない選択をすることは、日本を守ることだ」と、再び沖縄を戦場にしようとする動きに改めて抗う意思を示されました。

具志堅さんは、岸田首相が南部土砂の使用撤回を明言しない限り、6月20日からハンガーストライキに入ると予告されました。この交渉と同じ日、国は沖縄県に大浦湾側での新たな護岸工事に着手すると通知しました。防衛省は土砂の調達先は決まっていないと言いながら、工事はどんどん進めています。結局、岸田首相の南部土砂使用の撤回表明はなく、具志堅さんは沖縄県庁前の県民広場でハンストに突入しました。

遺骨土砂問題発覚から、具志堅さんは幾度となくハンストをされています。これほどの不条理を、日本はいつまで繰り返すのか。慰霊の日を前に、考えさせられます。

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